東京地方裁判所 昭和26年(行)19号 判決
原告 鈴木啓正
被告 東京国税局長
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告が昭和二十六年一月十八日原告の昭和二十四年度分の所得税について、墨田税務署長の所得税更正処分に対する審査請求を棄却した審査決定はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求原因として、原告は鉄工業及び主として鉄骨材を材料とする建築請負を業とするものであるが、原告の昭和二十四年度分の所得税について、墨田税務署より昭和二十四年十二月二十七日所得金額の決定通知を受けたので昭和二十五年一月十九日、確定申告書(昭和二十五年三月三十一日改正前の所得税法以下単に旧所得税法という第四十六条)を提出してその更正を求めたところ、右税務署長は原告の所得金額を二百七万千四百円所得税額百三十七万六千八百二十円とする旨の同年四月三十日附所得税更正処分をなし、同年五月二十三日その通知を受けた。そこで原告はこれに不服であつたので同月二十四日同税務署長を経由して被告宛に審査請求書を提出した(改正所得税法附則第十一項)ところ、被告は昭和二十六年一月十八日原処分を相当とし、審査請求を棄却する旨の決定をなし、その通知を受けた(新所得税法第四十九条第五項第二号)然しながら、被告のなした右審査決定は旧所得税法第十条第二項に規定する仕入品の原価に関する解釈を誤つた不法な行政処分である。
則ち昭和二十四年度における原告の収入すべき金額(旧所得税法第十条第一項)は売上収入四百八十四万四千八百円と半製品(未完成のビルに組立てられた鋼材を指すのであるが売却せられたものである)の収入百十九万千三百二十六円との合計六百三万六千二百六円となるところ、これに対して同年度における原告が収入を得るために支出した必要経費(同法第十条第二項第一項第九条第九号)は、材料費として同年度に使用した従来手持の鋼材百三十八屯九八一(半製品二十一屯を含む)に対する仕入品の原価は、屯当り金一万二千円と評価すべきものであるので、その合計金百六十六万七千七百七十二円及び同年度に新たに仕入れた鋼材費として九万四千五百円を加えた百七十六万二千二百七十二円となり、その外に副資材、消耗工具、工賃その他営業費等合計三百五十九万二千二百九十一円となるので、必要経費は以上総計五百三十五万四千五百六十三円である。従つて同法第九条第一項第九号の原告の昭和二十四年度の事業所得は収入金額から必要経費額を控除した六十八万千六百四十三円であつて、これが課税の対象額となり、その税額は、基礎控除の一万五千円を控除した金額について同法第十三条の税率で算出した三十五万千七百九十円から扶養控除額千八百円を引いた三十四万九千九百九十円となるのである。然るに被告は仕入品の原価に関する法律の解釈を誤まり原告の手持鋼材百三十八屯九八一の原価は屯当り金二千円と見積りその合計二十七万七千九百六十二円と計算したため、原告の計算するところと屯当り一万円合計百三十八万九千八百十円の差額が生じ、その結果必要経費額が同金額減少し、事業所得は前記六十八万千六百四十三円に百三十八万九千八百十円を加えた二百七万千四百五十三円なりとし、これを課税の対象額として税金額を算出して前記墨田税務署長のなした更正処分を相当としたのである。
原告が昭和二十四年度に使用した鋼材である鉄骨材のうち従来手持の百三十八屯九八一について、原被告間に原価計算の相違を生じた所以は、右鋼材は原告が終戦前昭和十九年頃屯当り三百円位で仕入れて保有所持していたもので、昭和二十一年三月財産税申告当時の統制価格屯当り二千円として申告し、その財産税を納入したのであるが、被告は右の申告価格を仕入原価と認定したのに対し、原告は昭和二十四年度の鉄骨材の統制価格は屯当り一万五千円であるので手持材料であるのを考慮して屯当り一万二千円で譲渡し、仕入原価を同額としたのである。而して旧所得税法第十条第二項の仕入品の原価とは、右のように昭和二十一年三月当時の統制価格を指すものでなく、これを使用した昭和二十四年度における統制価格又は市場価格と解すべきである。その理由は次の通りである。
(一) 名目上の所得に課税することは許されない。
昭和二十一年三月当時の鉄骨材料屯当り二千円であつたものが昭和二十四年当時一万二千円に騰貴したために生じたその差額一万円は名目上の利益である。何となれば貨幣価値の下落のため政府専売品である煙草、郵便葉書について見てもその価格は約十倍、清酒に至つては数百倍となり、その他の一般物価も十倍以上に騰貴していることは明白な事実であるから、昭和二十一年当時屯当り二千円の鋼材が昭和二十四年当時十倍の二万円となつても何等の不思議はなく、それだけ貨幣価値が下落しているため十倍の金額を取得しても実質上の利益は何もない筈である。昭和二十一年の屯当り二千円と昭和二十四年の屯当り一万五千円は政府が定めた統制価格であつて、この値上げによつてその間の所得者に利益を与えるために定めたものではなく、貨幣価値の下落に伴い取引価格の適正を定めて所有者の損失を防止したのである。従つて貨幣価値の下落のない状態における利益について課税するのが所得税法の精神であつて、これが下落し実質上の利益のない名目上の利益に課税しようとする原価に関する解釈は法律の精神に違反したもので正当な解釈ではない。
なお本件の鋼材については昭和二十一年以降資産再評価税が課せられてはいないけれども、名目所得に対しては固定資産に於けるが如く資産再評価税等の法規が制定せられて始めて課し得るものであり、本件のような商品材料については再評価に関する規定が制定せられていないから、このような品物については名目所得に課税しないというのが所得税法の精神と解釈すべきである。
(二) 要するに、旧所得税法第十条の仕入品の原価の解釈は貨幣価値の下落しない平時の場合を基準とすべきもので、貨幣価値が下落した場合には、これを文字通り解釈することは許されない。若しそうでないとすれば課税の負担の公平の原則に反する。則ち課税年度に仕入れた原材料は計算上経費として計上せられるから資本の回収は容易に行われる。元来所得税法が仕入原価を必要経費として控除を認めた法意はこれによつて資本を回収させ事業の継続に支障なからしめようとの趣意であることは疑を容れない。従つて回収資本で再度材料の仕入の可能を保障する立法精神であるのに拘らず本件のように終戦前より所有する原材料は仕入原価が低廉なるため、仕入原価を文字通り解釈すると売上の八割以上が課税される結果になり資本そのものが税金になつてその回収が不能となり再度の材料仕入ができない結果となる。原告は建築請負業であつて、商品の販売業者ではない。従つて卸価格と小売価格との差額を利得するものでなく、鉄骨材を基礎とする建築請負をなすもので一種の製造業者であるので、所得税法第十条にいう仕入品の原価なる文言を見ても、原告のような業者には寧ろ原料品の代価に解釈せられるべきである。則ち製造業者には仕入原価によつて必要費を計算されず、その年度における材料仕入に必要な代価が必要費として計上せられるのであるから、原告の場合には仕入原価は仕入代価と解釈せらるべきである。何れにしても、貨幣価値の変動した場合には原価の解釈は立法精神に合致するようになされなければならない。
以上の次第で被告の課税を正当とするときは、原告の昭和二十四年度における所得金を全部税金に支払つてもなお、不足し、事業の継続はとても不可能で破産の外はない。
よつて、不法な被告の行政処分の取消を求めると述べた。
被告指定代理人は主文と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、仕入品の原価に関する主張事実と見解は認めない。その余の事実は争わない。昭和二十四年度における旧所得税法第十条による原告の収入すべき金額は原告主張の通り六百三万六千二百六円であるのに対し、同年度の収入を得るために支出した必要経費は、材料費として鋼材百三十八屯九八一(半製品二十一屯を含む)に対する仕入原価屯当り二千円の合計二十七万七千九百六十二円と同年度の仕入品代価九万四千五百円を加えた三十七万二千四百六十二円及びその他原告主張通りの副資材等の必要経費三百五十九万二千二百九十一円との合計三百九十六万四千七百五十三円となる。従つて同法第九条第一項第九号の原告の昭和二十四年度の事業所得は収入金額から右必要経費額を控除した二百七万千四百五十二円となり、該金額が課税の対象額であるので、その所得税額は基礎控除の一万五千円を引いた金額に対して、同法第十三条の税率で算出すれば(その方法は二百五万六千四百円の八割の金額百六十四万五千百二十円から逆算控除額二十六万六千五百八十円を引く)百三十七万八千六百二十円となり、更に原告の妻の扶養控除千八百円を控除した百三十七万六千八百二十円である。従つて墨田税務署長が所得税更正処分により原告の昭和二十四年度における事業所得の税額を右と同額に定めたのは相当であつて、被告が協議団の協議を経た上、原告の審査請求を棄却した審査決定は何等不法のものではない。被告が原告の仕入品である鋼材の原価を屯当り二千円と見積つたのは次の理由による。即ち原告が昭和二十四年度に使用消費した鉄骨材料のうち従前手持の百三十八屯九八一は同年度に買入れたものでなく、終戦前より保有所持していたもので実際の所得価格が判明しないため財産税申告当時の価格屯当り二千円(実際の取得価格は原告主張の通りこの金額より低廉である)と評価したのである。元来旧所得税法第十条第二項にいう仕入品の原価は会計学の理である所得原価主義に基いて実定法化したものであつて、手持資産の市場価格が騰貴した場合には評価替して評価益を計上する立場を排斥し資産の時価騰貴は利益そのものでなく、未実現のものであるから、利益はその資産を売却して始めて現実化するという実現主義を採用しているのである。もつともインフレ時代において資産の売却益金が課税上名目利益に対するものとして問題となることは言を俟たない。然しながら、所得税法は従来徹底した原価主義をとつてきたのであるから、インフレの昂進した時代に名目利益に対する課税上の救済措置をとるためには、右の原価主義に変更を加える立法的措置が講ぜられなければならないのであるけれども、課税の技術上の問題と国庫の歳入上との観点から所得税法上の救済規定を設けなかつたのである。ただ固定資産については、資産再評価法が実施せられ、名目利益(インフレにより値上り益)に対して六%の再評価税を課し名目利益に対する課税を緩和し、これにより固定資産の減価償却と企業経営の合理化が図られたが、商品、原料品等(旧所得税法第十条第二項の原料品の代価とあるのも、取得原価を意味するものである)については、資産再評価の対象とならなかつたのである。その理由は、固定資産は性質上長期保有を原則とするから、一般にその再評価割合は大幅となるのに反し商品、原料品等は短期に売買せられるのを原則とし、その回転は速であるから、その取得の時期と再評価の時期とは接近しているため再評価割合は極めて低いものであり、従つて再評価の実益は少いものということができる。もつともその例外の場合もあるであろうが、右のような動産物件に対する再評価は課税技術上不能といわれる程困難なことであり、且つ国庫の歳入面の観点から、再評価による課税上の救済措置がとられなかつたのである。従つて旧所得税法第十条第二項の仕入品、原料品については、原価主義が何等変更せられていないのであつて、且つ名目所得に対する課税もやむを得ないとしているが所得税法の精神であるから、本件の課税は何等違法の点はないと述べた。
三、理 由
原告が、被告のなした審査決定を不法なりと攻撃するところは、昭和二十四年度における原告の収入を得るために支出した必要経費を算定するについて、材料費として同年度に使用した従来手持の鉄骨材百三十八屯九八一の原価を如何に解釈し認定するかの一点に在つて、その余の原告主張の事実関係については当時者間に争ないところである。
原告は昭和二十四年の収入を得るために使用した鉄骨材百三十八屯九八一は終戦前昭和十九年頃屯当り三百円位で仕入れたもので、昭和二十一年三月財産税申告当時の統制価格屯当り二千円として申告し、その財産税を納付したのであるが、昭和二十四年度の鉄骨材の統制価格は屯当り一万五千円であるので、旧所得税法(昭和二十五年三月三十一日改正以前のもの)第十条第二項にいわゆる仕入品の原価というのは昭和二十一年財産税申告当時の価格を指すものでなく、貨幣価値の下落のため昭和二十四年度における統制価格は屯当り一万五千円に改訂せられたので、仕入原価も当然同額に引き上げられたものと解すべく、従つて原告が譲渡した価格である屯当り一万二千円(同年度の統制価格屯当り一万五千円から手持資材の点を考慮に入れて減額したもの)の金額は仕入原価として収入額から控除せらるべきであると主張する。
思うに昭和二十一年当時鉄骨材屯当り二千円の統制価格が昭和二十四年当時一万五千円に改訂値上りしたのは、インフレによる貨幣価値の下落のためであつて、統制価格の改訂は貨幣価値の下落の割合を上廻るものとは考えられないから、物の所有者がその保有中に右のような値上りを生じても実質上の利得をなしたものとはいえないであろう。而して原告が本件鉄骨材を昭和二十一年当時より保有し、その価格屯当り二千円のものを昭和二十四年当時屯当り一万二千円で譲渡してもその差額一万円は貨幣価値の下落に伴う商品価格の騰貴の結果生じたもので実質上の利益といえない名目上の所得として算出されたものに当りこれに課税することは不当と思えないではない。
然しながら旧所得税法第十条第二項にいわゆる仕入品の原価(原料品の代価というも同じ)は取得原価を指すのであつてその物の価格が保有中に騰貴したため、たといその騰貴が貨幣価値の下落の結果であつて、実質上の値上りでなくても、当然に原価の変動を生ずるものと解することはできない。即ち同法は騰貴による利益は、利益そのものとして直に課税の対象とならず、これを譲渡したときに得た利益に課税する方針をとつているのであるから、原告が本件鉄骨材を屯当り一万二千円で譲渡したことによつて得た前記差額一万円は旧所得税法第十条、第九条、第一項第九号の所得といわなければならない。元来同法が仕入原価を必要経費として収入額より控除を認めたのは、仕入品の過去の取得原価は収入額よりこれを控除することが利益算出上当然とした結果であつて、仕入品の将来の仕入原価を予定したものでないことは多言を要しないであろう。従つて原告が仕入原価を同一商品を取得するに要する価格に結びつけることは正当な見解といえない。而して右の差額一万円は名目利益と考えられないことはないからこのような実質上の利益でないものに課税するのは同法の趣旨ではなかつたであろう。然しながらそれだからといつて同法が終戦後の異常なインフレ時代には特に貨幣価値の下落に応じて仕入原価が当然に改訂変更するものと解釈せらるべきことを期待しているものと推断することはできない。
インフレの結果による右の不都合を救済するための立法的措置として固定資産を対象として資産再評価法を挙げることができるけれども、その適用範囲外にある商品、原料品等は固定資産と異り短期間内に売買せられるのを通例とし再評価による救済を与えなくても名目利益に課税することによる不都合は比較的少いものであり且つこのような動産物件に対する再評価は技術上著しい困難を伴い実行が不能に近いため、救済の外に置かれたものと考えるのが至当である。従つて資産再評価法が制定せられたからといつて、その適用外にある商品、原料品等についても所得税法が特異の事態に対処するための立法的措置を待つ迄もなく同様の救済を与えることを所期していると解釈し、旧所得税法第十条第二項の原価の意義をインフレに即応して特価乃至は収入を得た当時の統制価格に当て嵌めて変更すべきものと推論するのは正当といえない。
なお本件課税が名目所得に及んでいることは否めないけれども、その不当性をもつて違法性あるものと断定するに足りない。
以上の次第で仕入品の原価を昭和二十一年当時の価格である屯当り二千円と評価して原告の事業所得を算出した被告の審査決定は相当であつて、これと見解を異にする原告の主張は採用し難いから、その請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 西川美数)